Jan 18, 2020

「カスチョールの会主催 第3回ロシア・スタディツアー」に行ってきました

<ロシア・スタディツアー>

2019年6月3日(月)から6月16日(土)の日程で、ロシア・スタディーツアーを実施しました。6月のロシアには珍しく最高気温が連日30℃近くにもなる暑さでしたが、幸いにも晴天に恵まれ、総勢33人(スタッフ5人を含め)の参加者は、「カスチョールの会」手づくりのユニークで充実した旅を楽しみました。雲一つない真っ青な空の下のモスクワ、白夜のサンクトペテルブルク、ゆったりとした時間を過ごした2泊3日のヴォルガ川クルーズ・・・。カスチョールならではの企画も満載で、ロシアの自然と文化をたっぷり味わい、感動で胸をいっぱいにして帰国しました。

<モスクワで>

モスクワ南西部にある労働社会関係アカデミー。同アカデミーの学生寮に宿泊した。

ツアー初日に訪れた赤の広場。中央に見えるのがポクロフスキー聖堂。広場では、ちょうど書籍祭が開かれていて、10ほどの巨大テントは人でごったがえしていた。



書籍祭ではステージも設けられ、大勢の観客がくつろいでいた。

ボリショイ劇場(中央奥)を背にして記念撮影。

メトロ・ツアー。モスクワの地下鉄は地下深くに造られており、長いエスカレータに乗ってホームと地上を行き来する。

モスクワの地下鉄駅ホームは、一つ一つデザインが違っていることで知られている。中には、シャンデリアが輝くこんな美術館のような駅ホームもある(キエフスカヤ駅)。

ロシア絵画が集められたトレチャコフ美術館にて撮影。ロシア最高のイコン画家、A.ルブリョフの「三位一体」(1420年代) 。

真剣にガイドの説明を聞く少女たち(トレチャコフ美術館にて)

レフ・トルストイの領地ヤースナヤ・パリャーナ(モスクワから南へ約170キロ)を訪問。門前の草上にて、持参した手づくりのお弁当で昼食をとる。

広大な敷地内の白樺並木をトルストイの屋敷に向かってひたすら歩く。

領地の森の中にあるレフ・トルストイの墓(中央)。盛り土だけの質素なたたずまい。

ツアーでは、作家、音楽家、演出家、政治家など多くの著名人が眠るノヴォデヴィチ女子修道院墓地(モスクワ市内)も訪れた。これは劇作家チェーホフの墓。

今回のツアーでは、特別にチェーホフ記念モスクワ芸術座も見学させてもらうことができた。モスクワ芸術座は設立の年(1898年)にチェーホフの戯曲「かもめ」が上演されたことで有名で、緞帳にはシンボルマークのかもめがデザインされている。

舞台では次の公演の準備が進められていた。

この劇場の創設者で演出家のスタニスラフスキーは、いつも12番の椅子に座って自分が演出した舞台を見ていたという。

<ヴォルガ川クルーズ>

モスクワの船着き場近く、森のなかのレストランで夕食。この後、クルーズ船に乗り込む。

ミハイル・ターヌィチ号。この船で、2泊3日のヴォルガ河クルーズに出発。

船上から撮影。岸辺では、大人も子どもも日光浴や水浴びをしていた。私たちに手を振ってくれる子どもたち。

夜9時過ぎ、ようやく日が暮れはじめる。

翌朝、デッキに集まる乗船客。右奥に見えるのが閘門。幾つもの閘門を通過して、クルーズ船は高低差のある運河を下る。

船が閘室の中に入った。ここで水位を下げ、向こうに見える門から下流に下る。

夕方、ヴォルガ川沿いの町ムイシキンに到着。ムイシキンはねずみ(露語でムイシカ)の伝説のある町で、ねずみのキャラクターがお出迎え。

ムイシキン市に上陸して、まず教会を訪れた。小さいが、静かで威厳のあるウスペンスキー寺院。

この町は手工業が盛んで、いろんな博物館がある。特産品の一つヴァーレンキ(フェルトでつくった防寒用のブーツ)のミュージアムを見学した。かわいいフェルト製品がディスプレイしてある。

船のロビーでオリガミを教えることになったカスチョール・スタッフ。一度子どもたちに捕まると、なかなか離してはもらえない。子どもたちは夢中で折りつづけ、オリガミ教室は夜まで続いた。

クルーズ最終日。船でのお別れ会にカスチョール・ツアーグループも急遽参加することに。舞台で「九段の調べ」をバックにお抹茶を点てる。大勢が試飲を希望するなか、3人の少女が選ばれ壇上に。「お味はいかがですか?」「う、うーーん…(にがい!)」

その後、バスの中で練習した「森は生きている」「12月の歌」の2曲の歌も披露。拍手喝采を浴びた。

<サンクトペテルブルクとその近郊>

朝、寝台列車でサンクトペテルブルクに到着。「北のベニス」と例えられる水の都サンクトペテルブルクには、網の目のように運河が流れている。その一つのモイカ川。

カザン大聖堂前の広場で踊りの練習をする少女たち

ネヴァ河とペトロパヴロフスク要塞を背に記念撮影。

サンクトペテルブルク市郊外にある皇帝の離宮ペテルゴフ。ピョ-トル大帝はフィンランド湾に面したこの地に、夏の宮殿と広大な庭園を建設した。公園には、自然の高低差を利用して150を超える芸術的な噴水が作られている。

どの石を踏んだら水が噴き出すのかな?・・・

(実は石は関係なく、ベンチの背後にいるおじさんが手で操作しているのだった・笑)

ツアーでは、ロシア料理、ウクライナ料理、ウズベク料理、ジョージア料理など様々な伝統料理を味わった。その一つアゼルバイジャン料理のレストラン。

アゼルバイジャン料理のメインの一皿。牛(又は豚、鶏、魚)と野菜のグリル。

「文学カフェ」でも食事を楽しんだ。ネフスキー大通りに面したこの店は、19世紀、多くの文人が集まるサロンでもあった。ロシア国民詩人A.プーシキンはここに立ち寄ってから決闘に赴き、かえらぬ人となった。入り口近くの席に座るプーシキン人形。

サンクトペテルブルク市の中心にある児童図書館を訪問。20世紀初頭に建てられたアールデコ様式建築を利用したこの図書館は国の重要文化財でもあり、見学者が絶えない。

児童図書館で開かれた座談会に出席。さまざまな立場の7名がパネリストとして参加(壇上左から、画家、学校教師、保護者、画家・冒険家、詩人・俳優、医師、図書館館長)。子どもたちの暮らし、医療、児童書出版をとりまく状況について意見が交わされた。

翌日、ペテルブルク市郊外のツァールスコエ・セロー(皇帝の村)を訪れた。プーシキンが同地のリセ(上流階級の子弟が学ぶ学習院で、創設は19世紀)で学んだことにちなみ、現在はプーシキン市とも呼ばれている。写真は、寄宿舎に残るプーシキンの部屋。

ツアー最終日に訪れたピスカリョフ墓地。サンクトペテルブルク市郊外にあるこの墓地には、第二次大戦中に同市から出た犠牲者が葬られている。犠牲になった年が刻まれた石のプレートが墓碑の代わりで、写真手前右のプレートには「1942年」と刻まれている。

ピスカリョフ墓地に併設されているミュージアムの展示品。約2年半の間、市(当時レニングラード)はドイツ軍に完全包囲され、市民に支給される1日分のパンはたったの125グラムだった。
「犬、猫、ネズミ、家具に使われていた膠(右手)まで食べつくし、人間の死体まで食べたという。67万人の市民が犠牲となった。」(ミュージアムの説明書きより)

墓地で最後の記念撮影。背後の石碑には、児童文学作家で詩人のオリガ・ベルゴーリツの有名な言葉「誰一人忘れまい、何一つ忘れまい」が刻まれている。ツアー中、雨が降ったのはこの日だけだった。


(主宰の田中泰子は本隊より一足早くモスクワ入りし、モスクワ郊外にあるコルネイ・チュコフスキーの博物館を訪れました。訪問の様子については「カスチョール」ブログに掲載しています。)

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