Dec 30, 2000

何も知らない 佐野洋子エッセイ

絵本『100万回生きたねこ』でおなじみの佐野洋子さんは、私たち「カスチョールの会」主宰者である田中泰子とは大の親友でもあります。その佐野洋子さんが寄稿してくださった素敵なエッセイをご紹介いたします。
※記事の全文は「カスチョール」第18号に掲載

絵本作家・佐野洋子さんの特別寄稿エッセイ

何も知らない

マーヴリナの絵本とコヴァーリのことば

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私は何も知らない。何も知らないまま死んでゆくと思う。庭に草が茂っている。あざみとききょう、虎の尾、その他に二つ三つの名前を知っているだけで、無数の名も知らぬ草はそのまま知らずに終る。名を知って、それ以上のことはさらに知らない。空一面に星が散っている。私は宇宙の何であるか知らない。そこにあるもの見たものだけで、何も知らずに生き続けて来ている。地球の上に生きる人々のことを、何も知らない。

ロシアについて、私は何も知らない。四才の時初めて白色人種の男を北京のチンチン電車の中で見て驚いた。私は驚いて、一緒に居た父の上着をひっぱってその男を指さした。父は押し殺した声で「人を指さすもんじゃない」と恐ろしい顔をした。私は恥しさで固まって、二度とその男の顔を見られなかった。本当は珍しさのために、なでくりまわす程、見たかった。私が初めて見た白色人種の男は北京のロシア人だった。

「イワンの馬鹿」という童話

「イワンの馬鹿」という童話を子どもの頃から知っていた。イワンはロシア人だった。どうして「馬鹿なイワン」じゃないのだろうと思ったが「イワンの馬鹿」は「イワンの馬鹿」だった。わらしべ長者の気のいい主人公よりも、「イワンの馬鹿」は広々と大きく深々とスケールがじんわりでかいように子ども心に思った。そしてロシアがどこにあるのか知らないのだった。そして私はいろんな国の童話や民話の中の馬鹿を知る。どうして世界中のどこにでも馬鹿はいるのだろう。そして私は馬鹿がどうしてあんなに好きだったのだろう。正直云うと、強く賢い王子よりも、馬鹿は安心するのだった。やがて馬鹿が、賢く強い王子に成り上がったりすると、安心と残念の中で苦しむ子どもだった。

トルストイやチェホフを

a-sano02それからトルストイやチェホフを読んだ。ドストエフスキーも何冊か読んだ。読むには幼なすぎる年令の時に。そして実に難儀を強いられた。長ったらしい名前、中黒が二つも三つもついている。その上、愛称がある。私はロシアの小説を読むとき、紙とペンを側に置いて名前と系図を書かねばならなかった。そしてやっぱり混乱してグチャグチャになった。行ったこともないのに地名が美しかった。モスクワ・ペテルスブルグ。ペテルスブルグがレニングラードになった時、それは私にとって別の土地になった。サモワールの実物を見るまで何十年も私はサモワールが何かわからなかった。しかし、サモワールは素的なものだった。私はサモワールを使ったことはない。だから、何も知らないのと同じかもしれない。

チェホフの芝居

チェホフの芝居を何回か見た。日本人の役者がロシア人になったつもりで、沢山いろんなことを云ったり、動いたりしていた。私は「かもめ」の最後で若い女が「私はかもめ!!」と叫ぶように云った時、何故かとても恥ずかしくて、何が恥ずかしいのかわからず、唯、自分が恥ずかしくなるのだった。まして、没落してゆく貴族階級の悲しみなど、引き揚げ者の私には、どうも共感しにくく、劇場を出る時、ムッとした気分になっていた。そして、私はロシア人の友人など一人も居ないのだから、生きているロシア人がどんなんだかわからない。チェホフもドストエフスキーも、出て来る人間が、それが例え汽車のなかで隣り合わせになっただけの他人に対して、猛烈の勢いとエネルギーでしゃべり、心中を吐露し、ズカズカドカドカでかくて重い長靴でふみ込んで来るのに、びっくり驚天するのだった。これは小説だからなのだろうか。作り事なのだろうか。私は何も知らないままなのだ。

~ (中略)~

田中泰子さんから、マーヴリナの絵本を三冊いただいた。文章を書いているコヴァーリは現在ロシアで最も高く評価されている児童文学者である、と泰子さんに何度も教えていただいた。『ゆき』何という「ロシア」そのものの絵本だろう。私の知らない白い世界で冬を生きる生き物と人間達。そして、そういうロシアは私からはるかに遠い。私はこの絵本を見て、私が遠い遠い雪だらけの冬のロシアを知らないことを実に幸運だったことだったと思った。何も知らない私に、白いロシアはこんな風に差し出されたこと、何と幸運だったことだろう。そして、見知らぬものへ限りない想像を働かせてくれる。私はいくらでも見知らぬ白いロシアを夢見ることができた。私は、そりですべって遊んでいる子ども達の絵をいつまでも見ていた。地面は白く、家の屋根も白い。もみの木にも雪が沢山ふりつもっている。目鼻立ちも無い子ども達の何とはつらつと元気で楽しそうなことだろう。そして、私を圧倒したのは喜びであった。こんなにも白い世界が、私に喜びを与えてくれる。

「氷の穴」の素晴らしい青。太った馬が私の方を見てかけて来る。真白な道を、カパカパと元気な足音をたてて、黒い耳をピンと張って、きっと鼻から白い湯気のような息をはきながら、シンとした白い世界に、太った馬のひづめだけがきこえる。真白な光の発光体のような森。そしてやがて春が来て、白い世界は去って行った。しかし、私には大きくて深い喜びは去ってゆかなかった。うすらうすらと泪がにじんだ。おへその下の方から、もうずい分長い間忘れていた生きてゆく希望が光るように生まれてきた。世界は美しい。私がどんなに心貧しくても世界は美しい。私はもう一度生き直すことが出来るかも知れない。マーヴリナがこの絵を描いたのは九十過ぎていたのだ。(編集部注・ロシアで絵本が出版されたときマーヴリナは83歳、絵が描かれたのはもう少し前。日本での翻訳本にひらがな文字を描いたときは90歳を過ぎていた)マーヴリナが奇蹟の人であっても、私は喜びに圧倒されたのだ。喜びに圧倒された私は、何と幸せなことだろう。白い冬を九十回以上も生きたロシアのマーヴリナしか描けない世界であっても、ここに、この遠い日本に白い世界は贈りとどけられた。
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佐野洋子 official web site
※佐野洋子さんは2010年11月に逝去されました
100万回生きたねこロシア語版の紹介は →こちら

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